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私が生まれたのはサンフランシスコ講和条約が締結された年、1951年です。その時、首相は吉田茂でしたが私の幼い記憶に「吉田茂」の名前はありません。直江津市(現上越市)の最西端の全校児童数100名にも満たない海辺の小さい小学校に入学したのは1958年です。小学校は、チャイム(ベルだろうな)の音が聞こえてから玄関を飛び出しても間に合う距離にありました。当時の首相は岸信介でした。岸の名前ははっきりと記憶していますが、もう少し学年が進んでから、ラジオのニュースを聞いて憶えたのでしょう。1年生で、ニュースに熱心に耳を傾けるほど私は早熟な少年ではなかったはずですから。大江健三郎が芥川賞をとったのも、長嶋茂雄がデビュー戦で4打数4三振を喫したのも王貞治が巨人に入団したのも私が小学校に入学した年です。しかしこれも、リアルタイムでの記憶がなく、後になってどこかで知ったようです。相撲は栃若時代でした。奄美出身の胸毛の朝潮太郎が栃若の二人に割って入るようにして時々優勝しています。栃若も朝潮も取り組みをTV観戦したのは近くの床屋でしたが、もう少し学年が進んでからのようにも思います。ご贔屓は若乃花でした。売春防止法はこの年に施行されました。原辰徳、森昌子はこの年に生まれまれています。村田英雄の「無法松の一生」がヒットしたのはこの年ですが、その他には、歌謡曲でめぼしいヒッ曲のない年でした。私の通った小学校はとうの昔(30年以上前)に廃校になっていますが、建物は、その後手が加えられて、縫製工場になりました。この建物は当時も、そして現在も、私の住む地区では最大の建造物です。周りの風景も子供時代からほとんど変わっていません。

過日、東京に住む甥っ子が「コンビニも無いとこでも生きていられるんだね」と驚いていましたが、水と空気さえあれば、人間なんとか生きていけるものです。

工場の庭になっているところが小学校のグラウンドでした。

この写真を見て思い出したことがあります。
当時の校門は植え込みの右側にあって、正面の植え込みの後ろ(白い屋根の見えるところ)にはフェンスがありました。フェンスにはちょうど人が通れるくらいの穴があり、この穴を使えばちょっとだけ近道ができます。穴は、直吾(なおえ)と言う名の学年一の乱暴者専用の穴でした。日頃から穴の所有権を主張していて(実際、その穴は彼が毎日少しづつコツコツと広げて作った労作でした。)彼の暴力による報復を恐れてこの穴を利用する者は私を含めて誰もいませんでした。ところが前日に巡回映画(数カ月に一回体育館で上映会がありました。)で「力道山物語」を観たある日のこと、校門まで回るのが面倒になった私は直吾の報復も恐れず、その穴を利用して家に帰ろうとしましたが、ヤツは穴をくぐり抜けた私を呼び止めて執拗に文句を言い始めました。しかし、「力道山物語」を観て高揚感の残っている私はヤツのハイテンションの抗議(二人の間にはフェンスがあったので暴力はなかった。)を受けてたちました。


ヤツ「オイ、コラッ!その穴勝手に通ってはいけねーんだぞ。その穴、誰の穴だと思っているんだ。」

ume「学校の穴だろ」

ヤツ「いや、違うね。フェンスは学校のものだけど、穴は俺のものだ」云われてみれば確かにそのとおりです。

ume「うん、わかった。だけどお前のものなら、こんなとこへ置いておかないで早く家へ持って帰れよ」

ヤツ「バカ!、穴なんか持って帰れる訳ないだろう」

・・・・ここまでは 何となく憶えていますがその後どうなったかまでは憶えていません。取っ組み合いにはならなかったように思います。間もなくしてこの穴も、ヤツが家へ持って帰る前に補修されてしまいました。2年前に50年ぶりに直吾に逢いましたが名前が変わっていたので訊いたら「市役所へ届け出た名前とはぜんぜん違う名前をオヤジがオレに教えた」ので、今は戸籍上の名前を使っているとのことでした。かすかに記憶しているこのおやじさん、「さもありなん」と言う感じの人だったので笑ってしまいました。

さて、どうして今日は昔話になったのでしょうか?そうだ、駅の上にある学校の写真を撮ったからでした。もうそろそろ昔のことを忘れてしまうトシになってしまったので、たまには、こんなふうに書き記して
おくのもいいでしょう。
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No title

「ベニスの商人」を思い出させるなあ。
栴檀は双葉より芳し、小学校のころから機知の人だったんですねえ。

この後、不毛の論争が

続いたようなような記憶があります。直吾君は論争に疲れて腕力を使い忘れたんじゃないかなあ。

No title

見事な一本勝ちです。
件の直吾クン,「グウ」というのがやっとだったと思います。

巡回映画

学校の視聴覚教室ではなくて、民間映画会社が体育館を借りて営業していたのでしょうか。
コンクリのフェンスを最初想像しましたが、それだといくらなんでも子供に穴は開けられないのできっと金網なのでしょう。
穴を通る子に暴力をふるうのを咎められる以前に、今だったらフェンスに穴をあけた時点で学校の先生に怒られると思うのですが、おおらかな時代でしたね。

No title

団塊の世代に育った者としては良く理解できます。コツコツと苦労して近道を作った直吾、咎められたumeさんのとんちの利いた切り返し、戦後の復興期で親にも余りかまって貰えなかった分、生きて行く術を子供ながらに身に付けていたような気がしますね。

やまぼうしさん、飼い犬との散歩コースにこの建物がありますが、すぐ近くでありながら、犬が死んでからは行く機会もなく、ブログ用の写真を撮るために久しぶりに訪ねました。どこを眺めても風景が変わっていないのには驚きます。国旗掲揚塔のあった場所にはアリを閉じ込めるために堀った穴がまだ残っているような気がしました。

Re: 巡回映画

みつきさん、街へ出かけなければ映画を観るこが出来なかったので、ときどき学校で映画上映会がありました。当時の当地の最高の娯楽です。そもそも街(直江津)へ出かけること自体がほとんどありません。フェンスは金網製です。この穴は「先輩から引き継いだものを直吾君が完成させた」の言い方が正しいです。

その後直吾くんとは


仲が良くなりましたよ。がきさん。もっと白熱した論戦だったと思います。
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ume

Author:ume
新潟県上越市に住んでいます。午前中は農夫、午後からは勤め人。ときどき2,5号素焼き鉢のミニ盆栽もどきと戯れることもあり。

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