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敗北宣言

ほうらね、あんまりみんなが「暑い、暑い」と大合唱するから、急に寒くなったんだぞ。
人生は死ぬまでたたかいの連続です。
たたかうのは好きではありませんが、好むと好まざるとに関わらず、人間どうしてもたたかわなければならないときもあります。

私のホームセンターでのいでたちはGパ ンにスニーカーです。何十年振りかではいたGパンですが、私にはとってもよく似合います。(!)
某日、1日2万歩の酷使にくたびれてきた25,5センチのスニーカーを買い替えるために靴屋へ行ってきました。店内の靴を分析した結果、靴は2種類に大別できることが判りました。
①「デザインはグーだが値段は愚」
②「値段はグーだがデザインが愚」
「」私が求めているものは第3のカテゴリー「値段もデザインもグー」です。
あれもダメこれもダメで最後に残ったのが「甲高ばんびろ」仕様の25センチのスニーカーです。ロバのような足の私には「甲高ばんびろ仕様」はありがたいのですが、いかんせん、本来のサイズより5ミリ小さい靴しかありません。試し履きしてみましたが、当然窮屈です。しかし、絶望的に窮屈かと言うと、そうではありません。希望の持てる窮屈さです。つまり「上手く履き慣らしていけば、多少窮屈でも、たった5ミリのことだから、履いていいるうちに、足に合わせて靴は伸びてくれるだろう」という希望です。買おうか買うまいか、迷っていたら「私にしなさいよ!」と突然靴が話しかけてきました。
靴に話しかけられたのは生まれて初めてのことです。この靴の熱意に負けて結局こいつを買うことにしました。「5ミリくらい何とかなるだろう。なんてったって甲高ばんびろ仕様だもんね」が結論でした。
この日から2週間、私とスニーカーの壮絶な戦いが繰り広げられました。
さて、このたたかい、どちらが勝利したでしょうか・?
足  


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モドキ・ もどき・ 擬

ウメモドキ、ツルウメモドキ共に梅の真似をしているわけでも名を騙っているわけでもないのに「○○モドキ」の命名はかわいそう。ご両名はこの不名誉な命名に「責任者出て来い!」とさぞかし悔しい思いをしているだろう。心中を察する。

今まで「下戸」を公言してきたが、少しくらいならいける。「下戸」の看板は偽りで、実はわたし、「下戸モドキ」なのだ。ビールなら勢いがつけばチビリチビリとコップ一杯くらいならやっつけることができるし、日本酒だって舐めなめしながら猪口一杯を飲み干すこともできる。どっちにしろそんな程度の飲み方だから、宴会の席でジョッキで生ビールをグビグビやっている「真性ノンベー」からは「umeさん、ワリカン負けさせてわるいね.こんなうまいものどうして飲めないかねー?」と憐みの声をかけられる。
が、心配無用だ、 仕事嫌いな肝臓の代わりに仕事熱心な胃が十分に元を取ってくれる。
真性ノンベー」から「フン!」と鼻先で笑われるかもしれないが、この夏から晩酌をやっている。夏だから飲むのはもちろん「ビールモドキ
私の喉にはビール」そのもの。ありがたいことにこのビールは酔わない。いや、ホンワカと少し酔うような気もする。気のせいかな。
夏 012ビール


夏 014.mukugeJPG
取り木をかけているムクゲは夏の間中、次から次へと咲かせていたが、ここへ来て、勢いがなくなった。すでに十分発根しているが,根巻き用のジュートを当てがってビニールテープで巻き直した。秋になったらウメの墓の傍へ移植する。完全なるクローンの誕生だ。「モドキ」ではない。




「雪」

タイトルが前回の記事と似ていますが、よく見てください。ちょっと違いますよ。ということで、今日のテーマは「よく見るとちょっと違う」です。kareki.jpg

雪やこんこ あられやこんこ
降っては降っては ずんずん積もる
山も野原も わたぼうしかぶり
枯木残らず 花が咲く

雪やこんこ あられやこんこ
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり
猫はこたつで丸くなる

言わずと知れた文部省唱歌「雪」の歌詞です。冒頭の歌詞「雪はこんこ」を「雪はこんこん」と歌っている人はいませんか?

間違いなので即刻改めましょう。(まず私が改めなければなりませんが)
「こんこ」はいわゆる擬音ではなく「ここへ来い」=「降れ」という意味だと今日初めて知りました。小さいころから「こんこん」は「あられ」はともかく「ゆき」にはそぐわない擬音だと思い続けていた私ですが、特にこれといった調査もせずに疑問を引出しに入れたままにしておきました。しかし、今日半世紀ぶりに引出しをあけて「雪やこんこん」をググってみたところ、こんこん(ウソ)こんこ(ホント)が判明しました。作者の意図がどこにあったかわかりませんが紛らわしい歌詞を作ったもんです。後世の人間が「雪はこんこん」と間違って歌うであろうことは容易に予想できたはずです。作者はあんまり性格の良くない人間なんでしょうか。



文部省唱歌には作詞、作曲家名が不詳のものが多いようですがそれには理由がありました。「文部省は作詞者・作曲者に高額な報酬を払い、名は一切出さずまた作者本人も口外しないという契約を交わした。「国」が作った歌であるということを強調したかったのだとも言われる[1]。そもそも合議制で編纂されたため、個人の著作物とするのは無理がある。」なんだそうです。詳しくはコチラ「雪」も作者は不詳です。曲に関しては、私の出る幕がありませんが、紛らわしい詞を作った性格の良くない作者にいちゃもんをつけてみたくなりました。疑問点を検証してみます。
「ゆきはこんこあられはこんこ」は前述の通り「雪よここへ来い、あられよここへ来い」=「雪よ降れ、あられよ降れ」という意味ですが、体験的に言ってこれは変です。気象学的にいえばどうなのか私には分かりませんが、普通あられは雨から雪に変わる時の前触れで降ることが多く、かなり激しい降り方をすることもありますが、降る時間は短く、せいぜい辺りが「白くなる」という程度の積もり方で、「ずんずん積もる」というような積り方はしません。また、雪とあられがタッグを組んでお互い協力しながら「降り積もる」こともありません。

「山も野原もわたぼうしかぶり 枯れ木残らず花が咲く。」

 

この件(くだり)には盆栽愛好家として、とても気になることがあります。この時季の樹木は常緑樹を除くほとんどの木は葉をふるい落として幹と枝だけの姿、盆栽で言うところの寒樹になっているはずで、見た目の上では枯れ木も寒樹も見分けがつきません。はたして作者は枯れ木と寒樹の見分けついたのでしょうか。「そこまでこだわるやつもおるまい」と後世の人間の洞察力に高をくくったようです。このことは寛大な心で許すとしても、枯れ木に雪がまとわりつく様を「花が咲く」はいくらなんでも強引すぎるのではないでしょうか。私の観察では、雪はキリタンポが串にまきつくような格好で枝にまとわりついています。むしろ常緑樹の松や杉の葉っぱに降り積もった雪が「花」に見えないこともないですが、あくまで作者は「枯れ木残らず花が咲く」と言い張っています。これはやはり「枯れ木残らずキリタンポ」が正しいのではないでしょうか。と、ここまでは昨日書きあげたものです。ところが、今朝起きてみたら、なんということでしょう、窓の外を見たら昨晩の雪で例のムクゲに(雪の)花が咲いていました。けっこうきれいなもんです。「どう見たって花には見えない、キリタンポだ」の主張を取り下げなければならないようです。けど、もちろんこのムクゲは枯れ木なんかじゃありません。

 





雪ッ!

家に閉じこもることの多いこの季節はブログネタがありません。「ブログネタがなくなったら、自慢話をしろ」は大伴家持の言葉ですが、すでにありったけの自慢話をしてしまった私には、もう自慢するような話がありません。
結局この時季は定番の「雪自慢」しかないようです。
とはいっても、厳密に言えば、私の住む上越市西部海岸通り(一般的な呼称ではありません。念のため)は豪雪地ではありません。
それでもここ数日の寒波で、外の景色が一変しました。mukuge002_20100116134713.jpg>

「いつもの日本海」が北側の景色とすればこの景色は南側の景色で、二階のベランダから撮ったものです。何気なく二階と書きましたが、当地では、雪対策のために基礎(=地面に接するコンクリートの部分)の高い家が多く、我が家の基礎も約2m位あり、この上に家が建っているので、実質的には三階建ての高さになります。一階部分が車庫や物置として利用されていますが、私はムロにも使っています。
画像に写っている庭木はume家のものですが、木の植えてある庭(土地)が誰のものかは知りません。この場所は法面になっていて、旧国鉄の所有する土地でしたが、現在の所有者は誰なんでしょうか?我が家と並ぶ七軒は皆同じように我が物顔で他人の土地で庭園ライフを楽しんでいて、四季の花々でサイクリングで往来する人たちを歓迎しています。今のところ所有者からのクレームはありません。住民側は「放っておけば草ボーボーの空き地をタダで整備してやっている」つもりでいます。白いガードレールの向こう側が旧北陸線の跡地で、今は久比岐自転車道として利用されています。この道を右へ行けば20k位で糸魚川、左へ行けば10k位で春日山です。現在の北陸線はすぐ近くを走っていて、ベランダからはトンネルの入口も見えます。このトンネルの西側の出口が名立駅です。北陸道はさらに向こう側の山手にあります。我家の庭(じゃないけど)でひときわ存在感のあるのが白花の「ムクゲ」です。季節になると、一日花を次つぎと咲かせ、次つぎと散らせます。大きくなりすぎたので、春になったら寸を詰めようと思っています。10年前から思い続けています。手持ちの盆栽はエンピツのような「ピンとつっ立ったデクノボー」ばかりなのにこいつだけは何故か立ち上がりに気の利いた曲があります。イヌツゲは去年から「玉造り」を始めましたがもう少し成長して欲しいところです。背の小さな木が雪の下に無数にありますが、春には無事な姿を見せてくれるかどうか心配でもあります。盆棚は画像には写っていませんが庭木の下方にあります。みいちゃんならずとも春待ちどうしい季節です。この絵では「雪自慢」にはなりませんね。やまぼうしさん応援をいただきます。

神に捨てられ、機転に救われる

以前の記事でも書いたように、このブログは自称盆栽ブログですが、実態は、ためになること皆無のノーテンキブログです。シリアスな話題は何も取り上げていません。これは私自身がノーテンキな人間であることに由来しています。しかし、好むと好まざるとに関わらず、リアルな世の中では、すべてをノーテンキで通すわけにもいきません。私たちには否応もなくリアルでシリアスな問題が押し寄せてきます。例えば、先日親戚からもらった「岩海苔問題」です。
私の住む地ではこの季節、波しぶきで体が濡れたり、最悪の場合(150万分の1位の確率ですが)波にさらわれる危険性を厭いさえしなければ、波をかいくぐりながら消波ブロックの上で天然の岩海苔を採取することができます。「五十歩百歩」の記事を読めばわかるように、残念ながら、私は「波をかいくぐる意気地」など持ち合わせていません。「岩海苔は食べたし採るは怖し」です。こういう時はどうするか?私の場合は、ツバメの雛たちがそうするように、口を開けて親ツバメを待ちます。そうしたら、先日いいタイミングでいとこ(女です)から「岩のり要る?」の電話がありました。早速貰いに行ったのは良いのですが、彼女が私に差し出したのは「生の岩海苔」です。私はてっきり干した板海苔をいただけるものだと思っていたので「あれ、干してないの?」と訊いたら「甘えるな」の回答です。「えっ甘えすぎ?」
「そう、甘えすぎ」
さて、家に帰った私は生海苔の加工に着手しました。まず、砂が無くなるまで何遍も水洗いします。きれいになったら海苔を細かくなるまで何遍も切り刻みます。細かければ細かいほど仕上がりがきれいになります。水に浮かべた刻んだ海苔をあらかじめきれいに洗っておいた網戸の網にオタマを使って少しづつ少しづつ振りかけていきます。全面にむらなく均一に海苔を敷き詰めて乾燥させれば出来上がりです。お手製の板海苔は穴だらけで見た目は悪いのですが、 磯の香りが芳しく、ちょっとあぶって、酒のアテにしたり、おにぎりに巻いたり、味噌汁に溶いて楽しみます。ところがこの時季ですから、海苔はなかなか乾燥しません。「海苔は一日にしてならず」です。それを見ていた母が「海苔は一日でホシ上げないと風味も落ちるし、変質する」と、余計なひとことを私に言うもんだから、しょうがないので、網戸を暖房の効いている居間に移動して乾燥の仕上げをすることにしました。ところが、ギッチョン、あろうことか私は海苔を移動する途中で網戸を落としてしまい、せっかく丁寧に(ume基準)仕上げた半生海苔をコンクリートの上にぶちまけてしまいました。板海苔としては修復不能な状態です。そんな時の私の悪い癖で、自分ののドジを呪うよりも先に神を呪ってしまいましたが、呪いだけでは事態は好転しません。
しかし、「機転」がこの閉塞状況を救ってくれました。私は神に捨てられて機転に救われたのです。
「そうだ!江戸むらさきだ」せっかく頂いた岩のりを無駄にするわけにはいかないので、絵は下手だけれど機転のきく私は、修復不能の半生板海苔モドキ」を江戸むらさき、つまり佃煮にすることを思いついたのです。コンクリートに落ちた岩海苔を集めてきれいに洗い直して、ネットで入手した「美味しい海苔の佃煮の作り方」を見ながら
コトコト煮詰めること3時間。出来上がった「江戸むらさき」です。あまり美味しそうに見えないけれど↓美味しくいただきました。神と機転に感謝です。       のり
プロフィール

ume

Author:ume
新潟県上越市に住んでいます。午前中は農夫、午後からは勤め人。ときどき2,5号素焼き鉢のミニ盆栽もどきと戯れることもあり。

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